北海道命名の地の後は国道40号線をひたすら北上。途中、いろいろな駅に寄りました。
佐久駅。「ふるさと伝承館」なるものが併設されていて、
生活にまつわる色んなものが展示されていました。
二眼レフカメラもあったなぁ…なんとなーく見ただけで通り過ぎてしまったのですが、確かMinoltaだったのでAUTOCORDかAUTOMATでしょう…。何型かは分かりませんが。
打たない…じゃない、歌内駅。筬島と同じような車掌車を改造した駅舎があるだけ。
「てしおなかがわ」が明らかに後からステッカーを貼った状態になっていますが、これはかつて歌内駅と天塩中川駅に存在した下中川駅の名残ですかね。
歌内駅の近くにあるのは、この建物だけ(だったような気がする)。
「北紡毛糸(ほくぼうけいと)」でググってみても何なのかはっきりしない。検索してヒットするのはこの手のホーロー看板を扱っているウェブサイトばかり。メーカーの名前なのか?それとも組合の名前なのか?それすら分からない…。
雄信内(おのっぷない)駅。比較的新しい自転車が止まっていた。
利用者のものなんだろう…しかしこの路線じゃ通勤、ってわけでもないよなぁ…。
前述の筬島駅や歌内駅と違ってそこそこ立派な駅舎。かといって佐久駅ほど近代的(?)な感じもない。色々調べてみると昔は有人、今は無人、というよくあるパターンだそうで。ただ、冬の間は職員が常駐しているとの情報もあり。冬季の保線のためだそうです。交換駅でもあるため、そこそこ広めな駅でした。
ところでこの駅舎、開業当時(大正14年)の木造駅舎なんだそうな。これは俺にとっては非常に価値がある。明治~昭和初期頃の木造建造物で、且つ「現在も建てられた当初の目的のまま使われている」というのは俺にとっては非常に萌えポイント。
ただ…惜しむらくはその情報を知ったのは帰ってからだったという…。もっと味わっておけば良かった…orz
駅前のメインストリート(?)。建物はこれくらいしかない。
トラックが止まっていたけど、普通に考えて住民がいるとは思えない。
廃屋。かつてはここにも人が住んでいたんだ…。
廃校となった安牛小学校の跡。
廃校となった後も、公民館的なものとして使われているらしく、中には人の手が入っているようでした。外観もごらんの通り綺麗ですしね。建物や道ってのは人の手が入らないとあっという間に朽ちていってしまいますからね。
そしてお次は宗谷本線で一番行きたかった駅。
それがこの安牛駅。
よくある車掌車改造タイプの駅なのに、何故そんなに行きたかったのか?それは安牛駅ノート - 冒忙房を読んだからですね。そこに「駅の周囲には3件の民家があり、うち2軒は廃屋、1軒のみ人が住む。」との記述があって、ものすごく気になる存在だったのです。
周りに民家がない、所謂「秘境駅」というのは数あれど、こんな風に数軒の廃屋と1軒だけ人が住む家がある、という駅は多分他に無いんじゃなかろうか。
周りに廃屋しかない駅よりもずっと寂しさを感じるのは俺だけではないはず…きっと。
しかし実際に行ってみると…雪の圧力に負けたのか、2軒あったと思われる廃屋は潰れていた。
一軒だけ残っていたが、人が住んでいるのかは分からなかった。
因みに、駅ノートは無くなっていました。残念。